能登半島地震調査報告 後編

2025年2月25日から26日かけて、能登半島地震によって被災した石川県穴水町、能登町、輪島市、七尾市等へ調査に伺いました。前編(初日)・後編(2日目)にわけて、参加した学生から報告を行います。後編はB3(当時)吉川による報告です。


能登半島視察2日目は輪島市、七尾市の被災現場を見て回りました。

輪島市では、観光名所である朝市通りの跡地に訪れました。朝市通りは「日本三大朝市」の一つといわれ、平安時代初期ごろに始まったとされる歴史的な市場です。能登半島地震発生の約1時間後に火災が発覚し、中心地全焼及びその周辺地域への延焼により、大部分が焼け野原となりました。現在は建物の焼け跡と空き地のみであり、昔の盛んな街並みは見る影もありません。私自身、災害の恐ろしさと失うものの大きさを実体感しました。

七尾市では、石川県の有名な温泉街である和倉温泉、国登録有形文化財の歴史的建物が点在する一本杉通りを訪れました。

和倉温泉は江戸時代より栄えた温泉街で、海岸付近の温泉特有の効能を得られ、観光客で賑わっていた名所となります。こちらも能登半島地震による被害が大きく、旅館のほとんどが休館を余儀なくされ、温泉街は閑散としています。中でも、日本有数の旅館である「加賀屋」の開口部間に発生したせん断ひび割れは、その地震大きさを現していました。

一本杉通りは小丸山城の城下町として形成され、登録有形文化財に指定された建物が存在する歴史的な町です。震災の影響により、家屋の倒壊や道路の隆起などが発生し、町の面影を失いました。現在は家屋の撤去、神社や店舗の修繕を行うほか、空き駐車場を利用したマルシェの営業をしていました。しかし、老店舗の休業を拝見し、歴史的な町並みの風化したような印象を受けました。

能登半島地震から1年が過ぎた現在、復興作業が行き届いているところもありますが、まだ手付かずの状態が多く残っていました。去年、私自身ボランティアの際に七尾市一本杉通りに訪れました。当時と比べ、道路状況や家屋の撤去が進んで災害の傷跡が緩和し、町の人々が行き交う姿が増えたと思います。それと同時に、地域の再生が長い道のりであることを痛感しました。

災害大国の日本において、地域計画で災害を考慮することは必要不可欠です。今後、都市計画を学ぶ上で災害対策について深く興味を持つことを大切にしようと思いました。

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